今回は館ヶ森アーク牧場開設当時から長年続けてきたスコットランド赤鹿の飼育についてお話しです。
勿論、その名の通り現在の赤鹿達は英国は遠くスコットランドからやってきた赤鹿の子孫達です。
1989年、昭和天皇崩御、平成となった丁度その年の1月、吹雪の中、成田空港から検疫を終えた赤鹿60頭が到着。
慣らし飼育が始まりました。
牧場に高い杭とフェンスを張り巡らし、放牧を始めたのは緑の牧草が生え揃った5月。正式オープン前も、
一般には公開しませんでしたが「イギリスから珍しい鹿が来た」と噂がうわさを呼び、近隣の人たちが沢山見に来ていました。
スラリとしたその姿、つぶらな大きな目、広い牧草地に群れを成す様子は見応えありました。
そのうちに、ニワトリ(ヒペコネラ)、ガチョウ、ポニー、などが徐々に加わり、ハーブ館・ハーブハウス、
ハーブガーデンが出来、平成4年(1992年)6月に「館ヶ森アーク牧場」としてオープンしたのです。
何と言っても人気はスコットランド赤鹿とハーブガーデン。
最初のロゴマークは「鹿とラベンダー」をデザインしたものでした。

赤鹿の飼育指導にはスコットランドから専門家を数ケ月招聘したこともありました。
国営開発された広い農地を利活用した畜産としての赤鹿導入の本来の目的は、肥育し食肉として供する事。
鹿肉の特徴は、①脂が少ない ②高蛋白 ③消化が早い
このように鹿肉は、当時から予見されていた高齢化社会に相応しい食肉であるとの考察がありました。
そして、食肉販売は冷凍ブロック肉。
加工品として、ソーセージ、ジャーキー、ドライサラミ、大和煮缶詰。
BBQとレストランメューとしても展開。幼角は漢方薬原料しても販売。
飼育技術の向上に伴い徐々に増え、
10年も経つ頃には350頭ほどにもなりました。
ところが、2011年東日本大震災の福島原発事故で放射能汚染問題が勃発。放牧されて牧草を食べた畜産物は販売不可に。そのため養鹿
事業は観光目的のみに特化。やむなく減頭の方向で現在に至りました。
(その時、豚の放牧も不可になりました)
他の鹿のお話もしなければなりません。白鹿(ファロー鹿)は2013年頃に他所からやってきました。
“白鹿は神の使い”とも言われ、大切にしてきましたが次第に存在感を発揮させることができなくなりました。
もう一つ、肉が最も美味しいと言われていたエゾ鹿も1995年頃に北海道から10数頭導入しましたが、
まったく人に馴れず手を焼いてしまい、絶滅しました。鹿牧場の歴史の中で色々あったお話です。
残っている32頭の赤鹿も、フェンス越しに、私の手から小梨の実をほおばり、
モグモグシャリシャリ食べる姿はとても可愛いものですが、赤鹿事業は業として成り立たせなくなって久しくなります。

残念ですが、歴史は動き、世界も変わって行きます。 Ark館ヶ森も、今まで雑草退治役に甘んじていた羊たちが増頭し
食肉用に台頭してきました。
美味しい羊肉。これはこれで今後が展望され、とても楽しみなことです。
(可愛いことと、美味しいこと。矛盾しないのは畜産業の性なのです)
橋本 志津